理解されていても実践されにくい「全体最適」
「部分最適ではなく全体最適を目指すこと」。これは、多くの組織でこれまでも繰り返し語られてきた考え方であり、決して新しいものではありません。私自身も、この一年を振り返る中で、何度となくこの言葉を意識してきました。
一方で、頭では理解していても、日々の行動となると、どうしても部分最適で動いてしまう場面は少なくないように感じます。特に、個人の実績評価や成果指標の比重が大きい組織では、その傾向がより表れやすいのではないでしょうか。評価されやすいのは「自分の成果」であり、「全体への貢献」は見えにくく、測りにくいものです。そうした環境の中では、無意識のうちに自分の役割や評価を優先した判断をしてしまうのも、ある意味では自然なことだと思います。
まずは自分を守りたい、自分を大切にしたいという感情は、人としてごく当たり前のものです。だからこそ、部分最適に陥ることを一概に責めることはできません。ただ、全体最適を意識しないまま部分最適が積み重なっていくと、結果として自分自身を含めた全体のバランスが、少しずつ崩れていってしまうこともあります。
行き過ぎた部分最適がもたらすリスク
行き過ぎた部分最適は、例えるなら癌細胞のような振る舞いを見せることがあります。癌細胞は自らの増殖だけを優先し、周囲との調和を失った結果、やがて宿主全体の機能を損なってしまいます。本人にその自覚がない点も、組織における部分最適と重なるところがあるように思います。
「自己責任なのだから仕方がない」という考え方にも、一定の理解はできます。ただ、全体最適という視点に立つときには、少し立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。全体を意識しない部分最適が重なっていくと、結果として組織全体の力が十分に発揮されにくくなってしまうからです。
自主性と全体最適を両立させるために
もちろん、個々人が自主性や積極性を発揮することは、組織にとって欠かせないものです。ただし、その自主性や積極性が全体との繋がりを見失ってしまうと、意図せず自己中心的な行動に見えてしまうこともあります。大切なのは、「自分の行動が全体にどのような影響を与えるのか」を、一度立ち止まって考えてみる視点ではないでしょうか。
一方で、全体最適の名のもとに自己犠牲を求めることも、本来の姿とは言えません。全体最適は、誰かが無理をすることで成り立つものではなく、強制されるものでもありません。もしそれが強制されるなら、やがて全体主義的な考え方に傾き、個性や創意工夫が生かされにくくなってしまいます。本来の全体最適とは、部分を構成する一人ひとりが自覚を持ち、自らの判断と行動を少しずつ調整していく中で、自然と形づくられていくものだと思います。誰かに与えられるものではなく、皆で育てていくものなのでしょう。
強い組織には、「自己責任」と「全体最適」が無理なく共存しています。他者に任せきりにするのではなく、自分の判断に責任を持ちながら、その責任を全体への貢献に繋げていく。その積み重ねが、組織のしなやかな強さを生むのだと感じます。全体最適が自然と共有されている組織を見てみると、そこには共通点があります。全体を考えた行動が、短期的には目立たなくとも、長い目で見ればきちんと評価される。そうした信頼が、組織の中に根付いていることです。経営者に求められているのは、全体最適を掲げること以上に、それがきちんと報われる仕組みをつくり、示し続けていくことなのかもしれません。















