「私は、どんなことでもビシビシ指導します。そりゃ厳しい課長ですよ。失敗などしようものなら、みんなの前でどやしつけるんです。悪いとわかっているから、部下は反論しませんよ。中には反感を持つものもいるようですが、だいたいそんな人間は伸びませんね。たまには部下も良い仕事をしますが、そんなときにもあまり褒めませんね。だいいち増長しますし、当り前のことをやって褒めてもらおうなんて、甘えていると思いませんか。」
「怒る」と「叱る」は全く異なる行為です。「怒る」とは、感情で相手を非難している状態をいいます。管理者がミスを犯した部下を怒る。すると、部下には「上司に怒られた」という不快感のみが残り、萎縮してしまいます。しかも、その後は二度と怒られないようにするため、部下は上司にありのままの報告をしなくなり、その結果として、管理者は部下に対して正しい指導をすることができなくなってしまうことがあります。
一方で、「叱る」とは、理性的に相手の問題点を指摘して、考え方・行動の改善を促すことをいいます。この場合、管理者は、相手が感情的にも受け入れやすいように“愛情”を持って叱ることに注意すべきです。“愛情を持って叱る”とは、相手が今よりも成長していくことを願いつつ、問題点を指摘することです。
「私は、自分が厳しい上役であるかどうかよくわかりません。しかし、部下の為にどうしても必要なら注意しているつもりです。ただやはり小さな間違いや失敗などのときには、正直いって注意するのはイヤなものです。こんなことを言ったらどう思われるだろうか、細かなことを言う上役だと思われはしないか、部下の感情を害さないだろうかなど、色々と気になります。しかし、注意しておく方が部下のためになると思うときは、いっさいの思惑を捨てて、その場で注意します。
以前の私は、あまり部下に注意しませんでした。それは、自分の心の底には“部下に良く思われたい”という気持ちがあったからです。仕事の面で甘くしておけば部下は喜び、自分も思いやりのある部長ということで、人気があるだろうと思っていたわけです。ですから、部下が何か間違いを犯したときなどにも“まあ、しょうがない。誰にでも間違いはある”などといって、その場を済ませてきました。しかし、彼がその後も反省の色もなく、仕事の上での改善もないと、しだいにその人に対して“ダメな人間”だ、という気持ちが強くなってきます。そうなると、今さら改めて注意しても、という気持ちになり、ますます注意ができなくなりました。
そのうちに人事評価の時期になり、私はそれまでの彼に対する不満にケリをつけるような気持ちで、“向上心なし”といった評価をしました。それを後で知った彼は、“気が付いたときになぜ注意してくれなかったのだ”と言って、私を非難してきました。そのとき私は深く反省しました。それは、“自分が彼に対してとってきた態度は、本当は彼のためを考えたものだったのだろうか。それとも自分の人気だけを考えたものだったのだろうか”ということです。
私はそれ以来、本当に部下のために必要な場合には、たとえイヤなことでも、ハッキリと言うことにしました。そして現在も、そのように努めています。こちらが気づいたことを遠慮なく率直にいえば、多くの部下はちゃんと聞いてくれます。そして、みんな努力をしてくれます。そういう部下を見ていると、なんとかして伸びようとしている意欲がヒシヒシと感じられますし、そのような人間がだんだん信頼できるようになります。したがって、人事評価のときには、“失敗はあってもそれを克服し、さらに伸びようとする信頼に足る人物”と自信をもって評価できるようになります。」
最も好ましい叱り方とは、相手が間違った行動をした瞬間に、愛情を持って、理性的に相手の問題点を指摘することです。その結果として、叱られた相手はその理性を受けとめて、あるべき方向に向かって新たな行動を開始するはずです。言うは易しですが、少しでも参考になれば幸いです。